中枢性尿崩症患者のつぶやき……の筈が、韓ドラ感想メインになってます。最近は二次創作にハマッてます。
by mayoi-maimai
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震災から一ヶ月

 3月11日に東日本大震災が起きてから一ヶ月になりました。今日も福島の方などで震度6弱の直下型余震が起きたりと、まだまだ大きな余震に気を付けなくては……。

 あの日からの一ヶ月をちょっと振り返ってみようと思います。



 私は現在無職で、両親と3人で暮らしています。3月11日(金)は午後から雪の予報だったので、通常なら午後に行っていたスーパーの買出しや書店巡りを午前中にすることにしました。
 午前11時に車で家を出てスーパーに向いました。そこで日替わり特売の卵を1パック買い、次に書店に行き、雑誌の立ち読みを一通りしてから雑誌とコミックスとヌードポーズ集(←美術系の本です)を購入しました。家に着いたのは午後0時30分頃。

 昼食の後、父が泌尿器科と整形外科の二箇所に行くと言って出かけました。しかし、泌尿器科で採血をされたので整形外科に行くのを止めたと帰宅したのが午後2時30分頃でした。(今回の津波で、この泌尿器科の医師が亡くなりました。整形外科医院もかなり津波を被りました)
 そして午後2時46分、茶の間で「情報ライブ ミヤネ屋」を観ていた時に小さい地震が起こりました。するとTV画面には「緊急地震速報」が流れるやいなや、続いてドーン!!! と大きな揺れが!!

 でもこの時は未だ、揺れが大きくても直ぐに治まるだろうと考えていました。しかし揺れは大きなままで全然収まる気配が無く、私はこのままでは家が潰れると思って窓から外に飛び出しました。父も外に逃げましたが、母だけは外に出てきませんでした。何をしてたかと思えば、キッチンで食器棚を押えていたので「早く外に来い!!」と叫んでも母は外に出る気配がありません。
 私と父だけが外に逃げたままで大きな揺れは更に続き、本当に本当に、とてもとっっっても長く長く、強い揺れのままでこんなに長く揺れた地震は初めてでした。

 ようやく揺れが治まったかと思うと、防災無線で「大津波警報」が発令されてサイレンが鳴り響きました。海に近い場所に住んでいる父方の伯母夫婦(90歳と93歳の高齢)を車で迎えに行くようにと父をせかしたものの、免許証が見つからないとモタモタしているうちにその伯母夫婦が訪ねて来たのでした。
 偶然にも伯母夫婦と同居している従姉が仕事休みだったので車に乗せて来たのでした。停電してしまっていたものの、伯母たちにお茶を出して寛いでもらいつつ、幸いにも大きな被害の無かった家の中で母や私は地震で落ちた物などを片付けていました。因みに私の自室では50kのブラウン管TVが落下したり、本棚の本が落ちて散乱していて足の踏み場の無い状態でした。

 ウチはプロパンガスを利用していて、地震によって安全装置が働いていたので解除するために家の裏側で作業をしていたところ、ザバーン! と波打ち際が家の近くにあるような音が聞こえました。音のする方を見てみると土煙がモウモウと上がっていて、その時私はてっきり地震で家が倒壊した為の土煙だと思っていました。車道を人が大慌てで逃げて来て、車がクラクションを鳴らしながら走って来ました。
 午前中に行ったスーパーも書店も津波に飲まれていました。もしいつものように午後に行っていたら………と思うとゾッとします。

 自宅2Fは扉が閉まらなくなったり、障子戸に隙間が出たりしました。ふと窓から瓦礫が見えたので父に言ったところ、津波でやられたのだと聞かされました。父が見に行ったところ、海に近い片浜地区や古谷舘地区が壊滅していたとのことでした。
 片浜地区とはウチの本家である父の実家や伯母夫婦の家があり、古谷舘地区には義伯母が住んでいました。
 私も母と見に行ったところ、道路の真ん中に家の屋根や階段がうちあげられていて、その先には悪夢のような残骸の海が広がっていました。
 雪が降り始めた頃に近くに住んでいる従姉の家を訪ねました。従姉と言っても母と同じ年なのですが…。従姉は無事でしたが、帰りの時間に当たる幼稚園児の孫と連絡がつかないと心配していました。(幼稚園は津波で壊滅しましたが、園児たちは避難して無事でした)
 夜になって、津波で流された残骸から出火! 家から火が見えて、断水しているのに消火できるのか? と不安になったものの間もなく鎮火してホッとしました。でも沿岸部では大火が発生していたのですね、ラジオでは聞いていたけど見えないので実感が湧かないまま夜を過ごしました。でも市内では一晩中消防のサイレンが鳴りっ放しでした。

 携帯が「圏外」となり使えなくなりました。こうなってしまうと171の災害ダイヤルも役に立ちません。

 水は未だ出ていたものの、電気が止まってしまったので、冷蔵庫の中の食材が悪くなる前に使い切ろうと努力しました。結局、従姉夫婦と伯母夫婦がウチに滞在することになったので7人分の食事を作る必要が発生しました。更には伯母夫婦が90歳と93歳という高齢なので体調を崩してはならないと冷やさない努力も発生しました。
 ウチでは幸いにも豆炭炬燵と反射式ストーブを常用していたので、ストーブで湯を沸かして湯たんぽを伯母たちに使って貰いました。灯油は200L買い溜めしていたので、とりあえず暖房は問題ありませんでした。
 米も玄米を30k精米したばかりたったし、LPガスもボンベを交換したばかり、汲み取り式トイレも汲み取ったばかりでした。小さいながらも畑で収穫してたジャガイモや人参や白菜やホウレンソウ、買い溜めしていたタマネギもあったので野菜類も当面は大丈夫だったし、冷凍冷蔵庫の他に冷凍庫(気仙沼では標準装備)にも食材をストックしていたので数日分の食糧は確保できていました。
 薬類も病院から貰ったばかりでした。

 通常、電気は2~3日で回復すると言われていたのですが、今回ばかりは何時回復するか判らない状態でした。そんな中、従姉の夫が冷凍のイカや鶏肉をゲットして来てくれました。が、従姉が「私、鶏肉嫌い」とか言いいやがった(怒)ので冷蔵保存出来ない鶏肉は猫の餌になってしまったのでした。勿体無い……。
 冷凍イカは、父が「イカは硬いから嫌い」とか言いやがるものの、加熱の仕方で柔らかく出来たので食べさせることに成功。高齢の伯母夫婦も食べられたようでホッとしました。
 伯母たちは3食とも米飯でなくてはならない…とのことで毎食ご飯生活! でもお米を研ぐには水が必要なのよ!

 3日目にとうとう水が出なくなってましました。母の実家に井戸があるので汲みに行ったら、道路が津波のせいで車の通れない状態に! 付近の町並みは火事で一変していました。
 海抜0mの母方の大伯母の家は津波に乗ってきた船に潰された後に火事で焼失、川沿いの母方の叔母の家は津波に流されていました。でも叔母たちは無事でした。
 父の妹が津波で亡くなり、父方の従兄も亡くなりました。父方の義伯母は未だに発見されていません。(先日発見されました) 父の実家も津波で流されました。

 水は従姉の夫の実家で未だ出ているとのことで汲んでもらうことにしました。でもガソリン不足で、いつまで運んで貰えるか不安でした。市内のスタンドではガソリンを売って貰えなくて、隣町の岩手県に買いに行ったら1L/1000円という“ぼったくり”が発生していました。しかし後日には県外車には売らなくなってました。

 当初は19日に復旧する予定だったのに一部でしか電気が復旧せず、冷凍庫の食材も解けてきてしまいました。食材も少なくなってきたので細々と販売しているスーパーへ徒歩で買出しに。品数制限はあったものの肉類や納豆や果物や生野菜をゲット。お菓子類も買えてチョット嬉しかった。
 その頃は或るお店で灯油の値段が10L/1000円となっていました。震災前には18L/1500円だったのでコレも“ぼったくり”です。別な店では、無料で配っていたトコロもあったというのに!

 ガソリンと灯油不足の為に市内では泥棒が横行していました。ウチも灯油のストックがあるので用心しなくてはなりません。しかしウチは家の周りが砂利なので歩くと音がする為か盗難は免れました。噂では、高校の学生寮のLPガスボンベが真っ先に盗まれたとのことで、犯人は学校関係者でわ?とのことでした。

 携帯電話は最初に「au」が移動基地局を持ってきてくれて、一部の地域で使えるようになりました。auは阪神の震災を教訓にして、移動基地局を多く準備しているのだとか。docomoは被災範囲が広すぎて、何処から手を付けるか決まらないんだって。ソフトバンクは最悪!!でした。

 従来、ウチは来客が少なかったのですが、何故かやたらと来客が増えました。どうも昼食やお茶や茶菓子が目当てなようで。いや、こんな暗い日々の中で、お茶を飲んでお菓子を食べて笑って話しが出来るんなら良い事ですけど。

 3月22日に水道が復旧しました。でも電気が復旧しないのでお風呂に入れないし、食器を洗うのも水です。
 3月23日、ガソリンが買えたので伯母夫婦が仙台に住んでいる娘の元に移ると言い出し、従姉は夫の実家に移ることになりました。24日に東北道が全面開通したので早朝に出発して行きました。後に若干の衣服が無くなっている事に気がつきました。(…………もしかして?という疑惑が)
 ようやくこの日の午前11時30分に電気が回復!!! TVや地デジチューナーやレコーダー、ボイラーやパソコン、スキャナ、プリンターの無事を確認しました。
 ようやくお風呂にも入れて嬉しかったですね。冷凍冷蔵庫と冷凍庫の整理をしました。食べきれずに処分したものが多数…………。残念です!

 その後は、ガソリンも容易に買えるようになってきたので、未だ電気も水道も復旧していない母の実家に居る人達を呼んでお風呂に入れたり、父の亡き三兄が建てて空き家になっていたトコに本家の人達を入居させたり、連絡の取れない人達を探したり、連絡が取れてホッとしたり。
 16日にはペットの猫(メス)の避妊手術も予定していたのに獣医さんも被災していて、他の獣医に行ってくれと言われてしまいました。当初はホルモン剤のカプセルを埋め込んで完了という簡単な内容だったのに、他所では普通に開腹手術されてしまいました。4月1日に日帰り手術だったものの、猫が痛みで涙を流すので居た堪れない気持ちになりました。現在では元気になってます!

 最近では営業を再開したスーパーでも取り扱う商品数が元に戻って来たりしてます。しかし、営業している店の数が少ないので乳製品は午前中でなくては買えないし、お酒類も品薄で、缶チューハイを探して店を渡り歩いてる状態ですね。鮮魚も手に入り難いです。野菜類は安定してきたかな?
 金融機関は未だ入出金のみの業務だし、市役所に行く車で渋滞が発生しているし、沿岸部はまだまだ瓦礫の山だし。道路が出来た以外は風景が地震直後とあまり変わらなくて、一ヶ月経った感じがしないですね。

 ざっくりと一ヶ月を振り返ってみました。時々、何故この時代に1000年に一度の災害が起きたのかと思う事があります。そして、こんな事態には二度と遭遇したくないとも思います。
 今までに就職試験を受けて不採用になった会社の殆どが津波に流されました。これまで就職できなかったのは、この日の為だったんじゃないか? と都合良く考えたりします。もし何処かで仕事をしていたら間違いなく「帰宅難民」になっていたでしょう。そして持病の薬も持たないで何時間も何日も飲まず食わずで救助を待つなんて地獄以外のなにものでもないし、耐え切れなくて自殺したくなるか、脱水症状で……という事態になったでしょう。
 そう考えたら、あの日のあの時間に自宅に居たという事にどれだけの「運」を使ったか計り知れないですね。
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by mayoi-maimai | 2011-04-12 02:18

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